わたしがわたしへ贈るしあわせレシピ

日々の感じたこと・思ったことを書きつらねています

ありがとう




今朝アイロンをかけている間、うぐいすの鳴き声が聞こえてきました。窓を開けていたからはっきりと。今日、長女が引っ越しへ。さみしいとか感じないんだよね。。。途切れるという感覚がないからか。むしろ、連絡はなくてもつながっているような感覚がある。



んでね。腹をくくった人って、それ相応の道が拓かれるって漠然とだけど感じていて。なるようになっているなぁって思う。だからイライラすることもないしね。



昨日右の下腹部が痛かったけれど、排卵痛かも。今日は痛くないしね。ああ。とりとめもなく自由に書けるって幸せだ。わたしだけの文章。わたしのための空間。だから人は入れない。




入ってきても、理解できないし。入りようがないんだよね。ノートにも書くし、ネットでも書く。どちらもOK。どちらもわたしのための空間だからね。誰がどうとか関係ない。与えられたものに感謝して進むだけ。



Facebookは見てももう、ときめくこともなく。ただ情報の洪水だなって。Facebookだけじゃなくてインスタもツイッターもね。新しいSNSにはもう興味ないかも。You Tubeだってラジオ体操しか見てないし。Bon Joviですら見なくなった。



画面の向こうの世界より目の前にあることのほうが大切で。今、ここ。っていうのかな。それを感じることがとても心地よい。そりゃぁ、Jonはとても大好きで心臓を捧げる人だけれど、動画をいつも見なくてもBon Joviの音楽を聴けばそれでつながりの感覚があるしね。



だからたぶん、たくさんのものはわたしには必要なくて。少しずつ手放しているんだなって思う。ほんとに少しずつ、小さく。そして気づくとものすごく色んなものを手放しているんだろうね。それでいい。それがいい。



手放せるってありがたい。そうしてちゃんと進んでる。進んでる感じがとてもある。人から認められようとしなくても大丈夫。認められなくても十分だしね。これは自分と過ごす時間がもたらすものなのかな?大丈夫、っていう感覚。



この感覚はとても心地よい。それをそこはかとないというのかもしれないね。時間がかかるとかどうでもよくて、そこにたどり着ければ。ただ今こうあることが、誰かの灯火になっているっていう感覚。それこそわたしの仕事。



わたしはいつも一気になんでもやろうとするけれど、そこを諌める人がいるってありがたいよね。急激に変化することを嫌う人もいるからね。そういうのを勉強させてもらっているんだね、今。学ぶ機会、成長の機会がいつも与えられているってありがたいこと。



ありがとうと思えることがありがたい。これが素直に口から出てくるようになるともっといいね。大丈夫。心からありがとうって思ったときはちゃんと出しているよ。できるようになっているから。このまま進めばいい。思うがままにね。ちゃんと手助けがある。



いつもありがとう。