わたしがわたしへ贈るしあわせレシピ

日々の感じたこと・思ったことを書きつらねています

手放すこと・整えておこうと思うこと

 

 

少し前から考えていた、レンタルサーバーの解約をしました。ウェブサイトを自分流にカスタマイズできるのはとても魅力だけれど、より自分好みにとなると知識も技術も必要で。あいにくわたしはそこまでしてウェブサイトを突き詰める気にはなりませんでした。

 

 

ドメインも手放すように準備したし、思い残すこともありません。すっきりします。ひっそりと消えていこう。人知れず。そのほうが気楽で。

 

 

人は人であろうとすることに執着し、それで自分たちを苦しめています。しかも気づいていない。難儀だなと思うけれど、わたしもまたそこに囚われていることがあると気づきます。囚われているからわかることもあり、自由であることもできるのです。

 

 

 

ひとつひとつ、少しずつ手放せるものを手放して、わたしは身軽になっていく。もうひとりのわたしがそれを引き留めようとすることもあり、そこに従うこともあります。でもいつか手放すとわかっているので、その時どうしたいかを自分に問いかけて決めます。

 

 

 

自然に行動するときは、そこに身を任せてあれこれ考えない。何を選択してもわたしは大丈夫だというそこはかとない自分への信頼があるのです。できる・できないに関わらず、わたしがそうしたいと思う・感じることを実行することのほうが大切で。

 

 

 

それを「自分を尊重する」と表現するのでしょう。以前のわたしは、自分を信頼しておらずいつも疑っていました。そして自分をいつも自分でジャッジしていました。自分に条件をつけていたのです。でもある時、それは必要のないことだと腑に落ちたんです。

 

 

 

そこからわたしは変化しました。あり方、考え方、ものの捉え方、行動、言動。わたしの中で大きなうねりができて、地に足がついてきたような感覚です。誰かの評価を気にしていた、そこを軸にしていたわたしは、今のわたしに内包されました。

 

 

 

ときどきそういうわたしも出てきますが、また静かに混ざり合い溶け合ってしまいます。消滅することなくひとつになっています。カラダの細胞が日々生まれ変わるように、わたしも世界も日々生まれ変わる、それだけのこと。

 

 

 

そんなことをつらつらと書いてくると、世の中の動きとかどうでもいいって思えてきます。一時的なことだし、そこに飛びつくことも騒ぐこともないのでね。命の危険が迫っていないからのんきにそう思うのかもしれません。でも、そういう時にわたしはどうしたいか、いつも考えています。

 

 

 

このカラダはこの世からお借りしたものだから、いつかお返しする。その時がいつ来ても良いようにココロを整えておこう。