わたしがわたしへ贈るしあわせレシピ

日々の感じたこと・思ったことを書きつらねています

助けられ。支えられ。与えられ。

 

 

パソコンの高さを変えてみました。作業時少し目線を下げるような高さにして、首の負担が軽減されればいいなって。また気づいたら、その都度使いやすいようにしていけばいいですね。Web会議をする機会も減ったので、自分をよく見せる必要もないので。

 

 

自覚はなくても色々なところで自分をよく見せようとしているのだなって、今回気づきました。気づければそこで一旦手放せるのでありがたいです。

 

 

わたしは、刺激に対して過敏であるとわからなくて今までしんどい思いをしてきましたが、自分が刺激に過敏であると理解できたら、強いと感じる刺激を避けることができるようになりました。テレビを始めとする映像、人、食べ物、着るもの…。

 

 

世の中の流れを知らなくても、そのほうが穏やかに過ごせるのです。余計な刺激に反応することが減りますから。そしてスルーできる。

 

 

夏場に向けて気温も湿度も高くなってきて、熱中症に気をつける必要がでてきましたね。先日、ちょっと外出して、買い物の際にマスクを着けただけで、カラダに熱がこもり汗が止まらなくなって、熱中症手前の状態になってしまいました。

 

 

この時期、マスクを着けるのはわたしにはとても危険。昨年もそれで熱中症になりましたし。まぁマスクは必要最低限にして、普段は外していますが。だって不自然だもの。何を守りたいのかよくわからない。

 

 

 

人だけで世の中が成り立っているような錯覚があふれ、人だけが尊ばれるようなところにわたしは居て、でもそうじゃないって知っているし、そこに染まらずにいたいといつも思う。多くのものに助けられ、支えられて今在ることに手を合わせていつも過ごしたい。

 

 

 

何かを排除するということは、自分を排除することと同じ。だからマスクは極力着けない。ワクチン接種が進んだら、今度は接種済み証明書の有無で社会での扱いに差が出るのだろうな…。だからといって、自分自身を排除したり、差をつけるような扱いをすることない。

 

 

 

それで社会がわたしを排除してもわたしの尊厳は何も傷つかないしね。むしろ、そういうところを離れられるのはありがたいこと。罰を与えるのではなく、ゆるしを与えること。必要なものはわかっている。そしてそれは、過不足なくわたしに与えられている。その時にふさわしい形で目の前にある。