わたしがわたしへ贈るしあわせレシピ

日々の感じたこと・思ったことを書きつらねています

よもやま話(その時感じたこと・思ったことをつらつらと)7

 

 

4連休もはや3日が過ぎ…。ずっと引きこもっています。どこへ行っても人だらけなので。それに暑いし。人口密度が低いところへ行きたいです。地方が舞台の映画を見に行きたいとふと思ったのですが、一生懸命行かない理由を考えている自分がいます。

 

 

映画そのものより、舞台となった土地へ行きたいのだと思います。映画に行くには、マスクしないとですし。マスクするのはホントしんどい。ほら、行きたくない理由探しているでしょ?だから、わたしは映画は行きたくないのだと思うのです。

 

 

 

ひとは一人では生きていけません。でも、寄りかかりすぎるのはとても嫌。寄りかかられ過ぎるのも嫌。わがままですから、わたし。適度な距離があるほうが嬉しいのです。地方へ移住したい気持ちはきっと、適度な距離を求めているだけなのだと思います。

 

 

 

物理的にも心理的にも。群れの中にずっといるのは息苦しくて、時々離れたいのです。時々群れの中にいる分にはいいのですが。家族で集まるとかでも人数が増えればやっぱり離れたくなります。どうしてって言われてもわからないです。だから、離れたいときは離れる。

 

 

 

離れる理由を見つける必要なんてないのだと思います。離れたいからそうする。それでわたしが落ち着く、心地よくなるほうが大切だから。

 

 

 

今日、中高時代の友人から連絡がありました。グループLINEに反応がないからって心配してくれたのです。そこでLINEの通知をオフにしていることを思い出しました。少し距離を置きたくて。いろんな情報が入ってくるのがしんどいと感じたからです。

 

 

 

通知オフにしてもう、1年経つのですが。今でもそのままにしたいと感じているのです。人と関わることが嫌なのではなく、ポンポンとやり取りが進むのについていけないところとか、タイミングが合わないところとか、とても苦手で。1対1ならいいのにね。

 

 

 

だから、タイミングが合わなくてもいいように通知をオフにしたのです。必要があれば個別に連絡すればいいだけのことですしね。あれこれ思い悩んでも、結局はわたしがどうしたいのかが基準で。誰がどうとかは関係ないのだって答えが出てきます。

 

 

 

わたしの価値観でしかわたしは考えられないから、わたしのことはわたしが決める。誰かのことはその人本人が決めればいい。仕事でこき使われているように見える人がいるけれど、それはその人の選択だからわたしは黙っている。だってこき使われていると感じているのはわたしで、その人はそう感じていないかもしれないしね。

 

 

 

人のことはほっとく。その人が決めることにわたしは口出ししない、する必要がないし、その人に任せるほうがいい。だってわたしはわたしのことに口出しされたくないもの。されたとしても、そうだと思えなければ流します。わたしが決めることだから。

 

 

 

 

人が見出す価値とわたしの価値が違っていてもいい。わたしにとってそれが価値だから。わたしがそうしたいと思うことが大切で。やらかすことも度々あるけれど、それもわたしの選択の結果ですしね。きっと映画には行かないです、わたし。