わたしがわたしへ贈るしあわせレシピ

日々の感じたこと・思ったことを書きつらねています

おでこのむずむずとそんな定義捨てちゃえば?と思うこと




2月も一週間が過ぎようとしています。春のような陽気の日もあり、沈丁花の蕾を目にすれば、もうそんな時季なのねと感じます。梅も咲いていますしね。冬というのは、次の季節のための準備期間。また芽吹くための。そんなことも考えます。




最近おでこが妙にむずむずします。髪の毛でもなさそうで、触ってもなにもないのですが。変な感じです。ネットで調べてみるとサードアイとかチャクラがどうとか出てくるのですが。あとは三叉神経痛とか。どれも違う気がする。。。





でね。調べてみてネットの中で答え合わせする必要ないなと思いました。答え合わせするより、目の前のありがたいことにありがとうを言えるほうがいいなって。そのほうが地に足がついている感じがします。なにかあるとついネットで調べちゃうのですが結局、そこに行き着きます。





おでこのむずむずは気になりますが、原因をつきとめるよりほかに目を向けたいです。原因がわかったところでむずむずが治るわけでもなさそうです。もう、流れに任せてみようとしか。痛むわけでもなく、手足にしびれがあるとかでもないので、病気な感じはしないですしね。そのうち慣れて感じなくなるかもしれないです。





ネットの中の記事は、大多数の人が喜ぶ内容のものが上位に表示されるのですが、それが役立つのかというとそうでもないなぁと。たぶん、わたしの知りたいこととマッチしていないだけで、知りたいことはだいたい自分で直接確かめたほうが実感がある。わかっているけど、もしかして…って調べちゃう。





ネットは便利だから、なかなな手放せない。付き合い方を考えないと、浮足立ってしまいます。スマホの電源オフの時間を作って、その間は読書にいそしむとか。周囲がガヤガヤしていると、気が散ってしまいやすいので、なるべく落ち着いて静かに過ごせる場所で。





何回も読み返しているお気に入りの小説とか、すきま時間に読んでる本をぱらぱらと目を通したり。楽器を演奏したり、音楽聴いたり。ネットから離れる時間を意識して作るようにしています。じゃないとずーっと見てしまうので。





テレビは東日本大震災以降、見なくなってしましました。動画も映画も極力見ないように。わたしには情報が多すぎてしんどいです。情報をいち早くつかまえて時代の流れに乗るのが良しとされている感じがしますが、逆になってるわたし。そのほうが穏やかで落ち着いていられるから心地よいのです。





たくさんの情報に埋もれて大切なものを見失うなら、とも思います。それに、どのように受け取るかは自分次第ですが必要なものはそのときにふさわしい形で与えられますからね。ことさら何かを追い求めなくてもいいとわたしは思うのです。





そんな話をすると人から「チベットの山奥に移住しそう」とか「仙人ぽい」とか言われるのですが、浮き世離れしちゃっているのかもしれませんね。それも、人がそう言うだけだでわたしにはどうでもいいことなのですが。人がひとであろうとするから難儀するんですよ。





そんな定義捨てちゃえば?って言ったところで受け容れ難いでしょうから、ここでしか書きませんが。いや、どこかで言ってしまいそう。。。おでこのむずむずからとりとめのない話の展開になってしまいましたが、今日はこのへんで。