わたしがわたしへ贈るしあわせレシピ

日々の感じたこと・思ったことを書きつらねています

怒りがもたらしたもの3〜怒りの本質〜

 

 

ベランダに雀の姿が見えました。かわいい…。先日道路にイモムシがいました。踏まないように気をつけて通りながら、蝶はひらひら飛んでキレイだと思うのにイモムシはキレイとは思わないな、姿が変わっただけで本質は同じなのに。。。と考えていました。見た目の情報に囚われて本質を見ないのはヒトのサガなのでしょうか。

 

 

 

閑話休題

今日も昨日の続きになっています。いつになく引きずってるなぁ、怒りの件。おかげでだいぶすっきりしました。引きずっていた理由もわかりました。怒る自分がゆるせなかったほかに、自分の気持を偽ろうとしていた、それが引きずっていた理由です。

 

 

前回の記事↓

lamplight.hatenablog.com

 

 

前々回の記事↓

lamplight.hatenablog.com

 

 

 

前々回の記事に登場した職場スタッフ。自分の都合しか考えず仕事をしています。そして、自分の仕事を進めやすいように周りが自分に配慮するものだと無自覚に態度に出しています。そのスタッフは、飢えているんですよね。満たされない感が強い。でもそれも無自覚。

 

 

 

むしろ、自覚したくないのかもしれません。飢えている自分を認めたくないから。だから必死に満たされようとしているように見えます。自分で自分を満たすことを知らないから、周りに満たしてもらおうとしています。それがクレクレ感や一方的な要求という印象を与えると気づかずに。

 

 

 

わたしはその人に関わると、エネルギーを盗られる感じがします。与えてもらうことばかり求めてくることが苦痛なのです。だから何かを与えたい気持ちにならない。仕事でその人のために何かサポートをしたいと思えない。

 

 

 

だけどわたしはその気持ちを偽ってサポートしようとした。だから苦しかった。そのことに気づいたのです。わたしはスタッフではなく、自分の気持ちを偽っていることを怒っていたのです。偽ることが嫌にもかかわらず、それを無視したから。

 

 

 

自分の気持ちを偽ることがとても嫌だった。嫌だったのです。あ〜、ものすごく嫌だったんだね。わたし。そう気づいたら、あんなにココロが波立っていたのにすぅ〜っと穏やかになりました。とてもすっきり。ラク

 

 

 

そのスタッフへわたしがどんなに何かを与えても、相手が満たされないことはわかっています。満たされたとしてもそれは一時的なもの。まったく与えないのも方法のひとつですが、それでは他のスタッフや仕事そのものに影響がでるので、与えるものを変えようと思いました。

 

 

 

時間をかけて、ゆっくりわたしの中へ落とし込めたように感じます。自分に納得感があるので、相手がもっとくれ!となっても対処できそう。やってみよう。実践あるのみだもの。