わたしがわたしへ贈るしあわせレシピ

日々の感じたこと・思ったことを書きつらねています

よもやま話(その時感じたこと・思ったことをつらつらと)26

 

 

引っ越しをするにあたり、手放せるものは手放そうとしている。絵も然り。転居先では飾ることができないのと、このまま置いても誰も愛でる人がいない。そのうち無造作に扱われてしまうだろう。だから買取をお願いした。

 

 

 

壁から絵を1枚ずつ絵を外して、額のホコリを払って。次に愛でてくれる人のところへ行けるように、幸せを願って。絵は手放し難いものだった。お気に入りの絵が家にあるだけで満足だったから。何度か手放そうと思ったけれど、結局今までずっと手元にあったしね。

 

 

 

買った当初は棺桶に入れてくれって言ってたのに、我ながらその心境の変化に笑ってしまう。それほど絵には思い入れがあった。毎日絵を眺めながら過ごすのは、贅沢だ。それは今も変わらない。その贅沢がなくてもわたしは充分だって理解したから手放す気になった。

 

 

 

そして引っ越しのタイミングで実行した。必要な時に必要なものがベストのタイミングで与えられるんだなってつくづく感じる。だからちょっと嫌だなって感じることも何か意味があるのだろうね。

 

 

 

 

先日クレームの電話がかかってきた。もとはこちらのミスだから言われても仕方のないことだ。きちんと説明をしなかったから余計に気分を害したのだろう。そこはこちらの落ち度だ。相手は自分と他者の境界線が曖昧な感じがした。

 

 

 

 

モラハラ気質というのか、必要以上に責め立ててきたので、電話を受けた当初はわたしもあまり気分は良くなかったが、後からなんというのか、相手のココロに空いた穴のようなものを感じて認められたくて必死なんだな、とも思えた。

 

 

 

 

それ相応のダメージは受けたけれど、必要以上に落ち込んだりせずにいられるのはありがたいな。以前は落ち込んでウジウジしていつまでも引きずっていたから。そのあたりはコーチングを受けたおかげだと自分では思う。自分の中で対処できるようになったから。

 

 

 

 

こうして今でも見えないところで助けられていることがとてもありがたい。甘えてしまいたくなることもある。でもこうして進んでいるからね。ちゃんとやっているよ、心配しないでねって敢えて知らせなくても、いつでもその姿を見せられるように。

 

 

 

 

ポカをしても、そこから立ち上がれるように手助けしてもらったからね。だからクレームがあったとしても、そこで立ち止まっているばかりじゃないよ。そこから進む方法をいつも考えてる。時には違う方向に行ってしまうこともある。そうすると、そっちでいいの?って問われる。

 

 

 

 

そうやってたくさんの助けがあることがね。何よりもありがたい。