わたしがわたしへ贈るしあわせレシピ

日々の感じたこと・思ったことを書きつらねています

助けること・助けられること

 

 

ブレスレットのゴムを交換しました。だいぶくたびれていたので、替えなきゃな〜と思っていたのをようやく。前に替えた時は5,6回くらいやり直したのですが、今回は2回で済みました。進歩した!

 

 

 

先日、上司に相談をしました。事前にその旨を伝えていたのですが、夕方になって上司は別のスタッフとお菓子を広げて井戸端会議を始めてしまったので今日は無理だなと帰宅してからメールをしました。勤務時間外に仕事の話って、わたしも大概仕事中毒だなと思いつつ…。

 

 

 

メールを送信後、上司からの着信があったことに気づいて折り返し、結果1時間くらい話していました。伝えたい内容をメールにしておいてよかった。そうでなかったらきっともっと通話していたもの。9割5分は上司が話していましたし。もっぱら聞き役。

 

 

 

 

わたしが相談したかったことへの回答は、会社のありかたが不透明な故に上司自身が揺らいでいる、迷っている、そんな印象を受けました。事実、会社の方向性は一貫性がなく右へ左へとブレていますから。その渦中にいる上司もまた、深く悩んでいるのだと感じます。

 

 

 

 

会社が傾いているって気づいているのか、いないのか。見ないようにしているだけなのか。経営者のみぞ知るところではありますが。

 

 

 

 

以前、上司がわたしのことを「違いすぎるからちょうどいい。凸と凹のようにぴったり合うのだ。」というような話をしたことがありました。何がちょうどいいのかわかりませんが、違いすぎるのではなく、近いところにあるからそう感じるのかな、とわたしは感じました。

 

 

 

 

ありたいところが近いけど、そこに行くまでの考え方や方法、好みが違う、真逆のところがあるのだと思います。それ故にただ違うと受け容れられるのかもですね。お互いに。「へー。そうなんだ、ふーん。」で終わる話がよくあります。

 

 

 

 

それはともかく、上司のおかげで割と自由に仕事をさせてもらっているし、助けられていることが多々あります。だからこそ、仕事で上司に恩返ししようと思うし、必要であろう情報は惜しみなく共有しようと思うのです。

 

 

 

電話の最後に「目に見えるようなところでなく、助けられている」とわたしに話していました。それを言葉にして定義することより、わたしが居ることで上司に助けになっているのなら、それはありがたいことだな。と。わたしが上司に助けられているように、上司が助けられているのならそれでいいや。