わたしがわたしへ贈るしあわせレシピ

日々の感じたこと・思ったことを書きつらねています

道を照らす灯火になりたいと願わなくても初めから灯火だったと気づいた話



なんだか2月とは思えないような暖かい日が続きます。先週はずっとお腹が不調でした。もやもやとした感じがずっと続いて深呼吸がうまくできない。胃腸に負担がかかっていたようです。食生活を見直す機会になりました。食べすぎなのだと思います。特に夜の食事は減らしたほうが良さそうです。




閑話休題。わたしは誰かの道を照らすカンテラの灯火でありたいと何年か前からずっと思っていました。カンテラは時に灯台に変わりますが、道を照らすことに変わりはありません。どうして灯火になりたいのか自分でもよくわかりません。でもそうしたいのです。




数年前、知人が本を出版しました。突然のできごとに周りは浮足立ち、わたしも「いつの間にそんなことに?!」とびっくりしました。同時に嫉妬もしました。置いていかれたような気分で、どうして何も言ってくれなかったのかと不満もありました。周囲の人たちはこぞって「すごい!」ともてはやします。それも気に入らない。




その人が遠くへ行ってしまうような感じもしました。そんな自分の気持ちを掘り下げていくと、知人への独占欲があることがわかります。好きなんですね、きっと。そんなことがわかるとね、自分がどうしたいのかが見えてきます。どんなに知人がもてはやされようと、遠いところへ行こうとわたしは変わらずにいたい。




知人が順調な時も嵐にあって難儀している時も灯台の灯火のようにただそこで静かに道を照らす。そんな存在でありたいって。その知人とは別のことでもやっぱり同じように、静かに道を照らすカンテラのようでありたいって言っていました。インターネットラジオでもそう。灯台の灯火って。




わたしがこれまで色々やってきたことって元をたどると同じところへ行き着くんです。ストレングス・ファインダーもPoints of Youもインターネットラジオもその他もろもろ全部。でも、そこにこだわりすぎていたんです。「ありたい」はいつしか「あるべき」になって自分を苦しめていた。それがわかったのはつい最近です。




これも何年か前のことですが、キャリアコンサルタントの知人とランチをした時に「次々と色んなことをやって曲がりくねった道を進んでいる」というような話をしたら知人は、「その姿が誰かの勇気になるんだよ」とおっしゃってくださいました。その時はあまりピンときませんでしたが、今はとてもありがたく感じます。




灯火になろうとして色々と追い求めていましたが、わたしは初めから灯火そのものだとようやく気づいたから。同じように周りもその姿が灯火として道を照らしているのだと。だからこだわることなく流れ身を任せて思うがままの自然体でいよう、それが誰かの道を照らすのだから。そんな想いがゆっくりとわたしの中に浸透してきているように感じます。




気づいたきっかけは、「人である」という定義を手放せラクだなってふと思ったときです。その時にわたしは最初からたどり着きたい場所にいるのではないかと漠然と感じました。自分でモヤを張りめぐらせて視界を曇らせていたのではないかって。今は少しずつそのモヤが取れて、自分の本質に近づいていくような感覚です。





だからなのか、周りの人と合わなくなったように感じます。SNSから離れたのもそんな理由が含まれています。わたしは違うステージにいるんだなぁって寂しくもある。でも戻るつもりはなくて、これでいいって思っています。誰のせいでもなく、わたしが選んだことだから。そしてそれが誰かの道を照らしていくのです。。。