わたしがわたしへ贈るしあわせレシピ

日々の感じたこと・思ったことを書きつらねています

人の中にいる饕餮(とうてつ)について



今日は饕餮(とうてつ)について書いていきます。饕餮ってなんじゃ?って話ですが。饕餮とは、中国神話に出てくる生き物です。欲望のままに何でもむさぼる生き物で、魔除けとして扱われることも。でね。饕餮は神話の世界の生き物だけれど、人の中にいるんです。饕餮という名前がしっくりくるなと勝手にわたしが思っているだけですけれど。




饕餮の饕は財産をむさぼる、餮は食べ物をむさぼるの意です。何でもむさぼるから転じて「悪いものもくらい尽くす」と魔除けのように扱われたりしたようです。あいまいですいません。。。まぁ、あながち間違いではないのかもしれません。何でもむさぼるから。




饕餮は人の中に住んでいます。しつけられた饕餮は分をわきまえて、それこそ魔除けのように働きます。そうでない饕餮は欲望に従って暴れ、周りを困らせます。主(あるじ)が野放しにしていれば、饕餮はどんどんと大きくなり、やがて主に取って代わろうとするでしょう。




饕餮を調伏できるのは主だけです。手のつけられない饕餮は、主がそのように育てたから。でも、それに気づけば饕餮を調伏することは可能です。饕餮が主に成り代わろうとも主がいなければ、饕餮もいられませんので。饕餮は自分の立場を守るため狡猾に主を操っているのです。




饕餮の好物は欲望です。だから主の欲望がかき立てられるように仕向けます。欲望は主の満たされないものをあたかも満たすように感じさせますが、それは錯覚です。一時的に満たされると感じるだけで却って満たされなさを増すように仕組まれています。でもそれも機会です。主が自分を磨くための。




周りが困って暴れる饕餮を何とかしようとその人へ罰を与えたり、諌めようとしますが(一時的に鳴りをひそめるかもしれませんが)主がそれを必要としていない限り饕餮は暴れます。好き放題です。誰かの暴れる饕餮を何とかしようとするよりは、その饕餮に何をされても良いように手を打っておくことです。自分の中の饕餮で。




饕餮は誰の中にもいます。特別なことではありません。調伏されているかどうかだけです。だから他人の饕餮をどうこうするより、自分の饕餮をどうにかしておくことです。無理やり抑えつけるのではなく、自然と自分に懐いておとなしくなるようにね。




なんで饕餮のことを書くのかというと、饕餮を暴れさせている身内がいるからです。家族の財布からお金を持ち出すのはもとより、服や食べ物も自分が欲しいと思ったら、それがくつ下だろうが、下着だろうが、菓子パンだろうが、ヘアスプレーだろうが持ち主の許可なく持ち去っていきます。それはなんでもむさぼる饕餮そのものです。




それを何とも思っていない。こちらが何も言わないから気づいていないだろうくらいにしか思っていないんです。たぶん本人も困っているんです。満たされないから。満たされたくて必死だから自分のそのおこないがどんな影響をもたらすのか気づけないんです。




人をないがしろにしているようで、実は自分をないがしろにしている、そこに気づいた時に何を感じるのか、その時にならないとわかりません。気づかないままかもしれませんしね。わたしが黙っているのをいいことにさらに饕餮が増長するかもしれませんが、それは本人が決めることです。その人の饕餮だから。




それでは今日はこのへんで。