わたしがわたしへ贈るしあわせレシピ

日々の感じたこと・思ったことを書きつらねています

本「7つの習慣」を読み返して気づいたこと

 

最近は新しい本を買うより、今手もとにある本を読み返していることが多いです。何度読み返しても同じ箇所で同じように感動したり、新しい気づきがあったり。そこで今日は最近読み返したことで気づいたことを書いていきます。

 

 

 

最近読み返した本は「7つの習慣」(スティーブン・R・コヴィー著)です。最初に読んだのは2018年頃。だいたい本を読み始めると読み終わるまでイッキ読みしてしまうのですが、この本はイッキ読みするにはボリュームがありすぎました。そして内容がとても濃いので、理解に時間がかかる。

 

 

 

読み始めてからかなり早い段階で内容を理解することより、読み切ることに目的がすり替わってしまいました。なので、まったく読んだ内容は残らず。最後まで読んだことが重要で、中身の理解は二の次でした。上澄みだけすくって理解したように装っていた。

 

 

 

今回読み返してそのことにまず気づきました。何も理解していなかった。ってね。深く理解するには何度も読み返す必要がある本だと。ゆっくりと少しずつ読み進めていくと、自然と少し実践できているようなこともあれば、そうでないこともあることがわかりました。

 

 

 

7つの習慣」はひとつの流れを7つの角度・切り口で説明しています。だから7つそれぞれが独立しているのではなく、それぞれが重なって影響しあっているのです。どれかひとつでも実践できれば残り6つの習慣も自然と実践されます。逆に、ひとつでも怠ればその影響は他にも及ぶということです。

 

 

第一の習慣「主体的である」

 

 

前回読んだときは、まずここがわからなかった。「原則」がまったく理解できず、それって何?どういうこと?? そこでもう「わからない」フィルターがかかってしまったのです。だから最後まで読んでもまったくわからなかった。

 

 

じゃあ、今回は理解できたのか。

 

 

主体的であるとは、自分の内側に拠りどころを置いて、そこに従って考え行動することです。

 

 

「原則」とは、ハイヤーセルフとか内なる宇宙とか、自灯明とか、そういうものを総称しているように感じました。自分軸の源と置き換えることもできるかもしれません。だから「原則」を頭で理解しようとしても理解できなかった。自分の内側にある感覚に依るもの。ココロで理解するものだから。

 

 

 

自分の外側を拠りどころにしている人のほうがわたしの周りには多いように感じます。世間体だったり、配偶者だったり、その時に合わせて変わる・変える。自分のことなのに、誰かに決めてもらおうとする。また、他人のことなのに自分が決めようとする。

 

 

 

たとえば、こちらの意思を無視し、親戚の目を気にして結婚式を挙げろと強要しさっさと手配する親とか。自分たちのためではなく、親の面目(満足)のためだけに挙げる結婚式なんて嬉しい?(わたしは嫌!)

 

 

 

いろんな書籍でもネットの記事でも書かれていますが、周りではなく「わたし」がどうしたいか、まず自分の内側の声に耳を傾けることをしなさいということです。インナーリサーチ、自己洞察。すべてはそこから始まる、と。

 

 

…という理解です。

 

 

 

第二の習慣「終わりを思い描くことから始める」

 

 

最初でつまずいたわたしには、当然この習慣は自分の中へ浸透されませんでした。成し遂げるには困難なとても高い目標を設定しなければいけないように感じたのです。チョモランマかK2かってくらいにね。

 

 

本の中に書いてあるような自分の葬儀を想像することに抵抗がありました。「死」を嫌ってどこか遠いもののように感じていたからです。

 

 

今回はどうだったのか。

 

 

再読するまでの期間、いろんな経験をしました。そのおかげでいつの間にか終わりを描いているようになっていました。いったん描いた終わりのとおりでなければいけない、という思い込みも、その時々で状況は変わるから修正していけばいい。と思考が変わっていたからです。

 

 

さらに昨年知人が亡くなって「あぁ、いつか自分も死ぬんだ」って腑に落ちたんです。そうしたら自分の葬儀を想像しなくても、わたしがどうしていきたいのか、覚悟というか腹を決めたというか、そんなものが自然と芽生えました。

 

 

 

仕事でも。会社の理念とか、あり方について考えるようになっていたので、第二の習慣については、あれ?実践してるところあるんじゃない?と思いながら読み進めました。

 

 

 

第三の習慣「最優先事項を優先する」

 

 

そもそもを理解できていないので、何が最優先事項なのか基準がまったくわからず、ただの時間管理テクニックのようにしか感じていませんでした。ただただ効率よく物ごとを進めるためのもののようにしか見えなかったのです。「わからない」フィルターが更に厚くなる感じ。もはや読み進めるのは苦行。

 

 

今回は…

 

 

やっぱり難しいと感じました。どこに重きを置くのか。わたしは自分の時間を大切にしたいので、そこは第二領域。でもスケジュールを決めるのはとても苦手で、その時によって変更するのは日常茶飯事。スケジュールを決めると必ずそうしなければいけないように感じて窮屈なのです。

 

 

ここは譲れないという枠だけ決めてあとは遊びを持たせたほうがわたしには合っているように感じます。こんなにたくさんの予定はわたしには要らない!ってなりました。ひとりで居る時間をたくさん作る、そこは最優先事項。人と関わるのも物ごとを判断するにも、その時間がないとわたしには困難だから。

 

 

たとえば、夜8時以降はスマホは触らない、緊急以外の電話は出ないと決めて静かに過ごすとか。自分のメンテナンスをする時間なので、第七の習慣にも通じます。大切なのは本の通りに実践することではなくて、自分がどうしたいのか、だと感じました。

 

 

 

第四〜七の習慣については、次の記事にて書きます。

今日はここまで。