わたしがわたしへ贈るしあわせレシピ

日々の感じたこと・思ったことを書きつらねています

よもやま話(その時感じたこと・思ったことをつらつらと)37

 

 

今朝はいつもより時間がゆっくりな気がする。起きてノート書いて、ちょっとしたことを済ませて今記事を書いているが、まだ6時台。時間があるってすてき。昨日は午後からずっと電子書籍を読みふけっていた。気づいたら夕方であたりが暗くなっていた。

 

 

そのくらいずっと集中して読んでた。久々に読書を堪能して、すっきり気分がよかった。物語の世界にずっと浸ることもなく、ちょうどいい切り替えになった。そうしたら、また仕事のこととか考え出して。でもわたしにはどうにもならないことだなと思い直す。

 

 

できごとを反すうするのは自分のなかで消化するため。大切なのはそこにどんな意味づけをするか。そうして消化できたらすっとモヤモヤは消える。結局わたしは、自分の受けた、受けている恩恵を世界にお返しするためにこうしているのであって。

 

 

だから目の前にあることに精一杯取り組めばそれでいい。たとえ思うように進まなくても、それが今のわたしのベストなのだ。「我」があろうとなかろうと、わたしは空を漂う雲であり、冷たい北風と何も変わらない。まな板の上のレンコンで、煮込まれたポトフだ。

 

 

目に見えて役立つことなくとも、巡り巡って大切なひとの幸せにつながっているし、そうなるようにわたしはあろうとしているし、そう行動している。それだけ。思い悩むなら進む。悩んでも進む。ひたすらに。そうしたら、たどり着く。

 

 

たとえばね。職場の神棚の榊の水を替える。誰も榊のことを気にしないけれど、わたしは気になるから替える。それがわたしのあり方なのだと自分が理解してれば、それで充分だしね。でもときどきしっかり構ってほしくなることがある。

 

 

それが叶わないとイライラしたり、拗ねたりする自分がいる。そういう時はわたしがわたしに構っていない。そうか。誰かに構ってほしいのではなくて、わたしはわたしに構ってほしいんだね。もっと構って!って言っている。

 

 

この前のイライラは、そういうことだ。わたしがわたしを見ていなかったから、イライラしたんだね。イライラは、自分をないがしろにしているサイン。このところ、ゆっくり自分と過ごす時間を取っていなかった。オーバーワーク気味だったんだね。

 

 

気づかせてくれてありがとう。昨日はゆったり過ごしたから充電もたくさんできたんだね。気負いすぎず今日もいきましょう。